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【2024/05/03 22:33 】 |
新しいブログに移転します。純粋なこころだけは。
ここでは掃き溜め的頭の整理をしていこうと思う。
だれも見ていないしな。
でもネットに上げているところが未練がましい。おそらく誰も見る可能性もないのにものを書くのが嫌なのだろう。ツイッターみたいなものか、だれかに見ていてほしいっていう。愚痴り始めると常人より長いからツイッターではなくブログをやっているのだろう。

さて、暇があるときにでも少しづつ意味のない話をしていきたいと思っている。
ここまでお付き合いいただいた方には申し訳ないがさらに面倒で退屈な話以下の何かを書こうと思う。

トランスについて。

新しいブログには自分が作ったトランスを上げるつもりだ。
DTMというパソコンで音楽を作ることを初めてはや3年になる。途上就活があったり家で寝ていたり遊んでいたり(勉強はしなかった、これだけは言える)していたために実質はもっと短いだろうが、始めたときから換算するとそのくらいになる。
どのくらい上達したかって?

まあ、まあ、だ。

時間の割には少し足りないのではないか。そして自分がその上達に全く納得していないのは確かである。
その原因は以下のように考えられる。

1 死ぬほど必死にずっと取り組んでいたか

  物事を取り組む際には姿勢というものが大事になってくる。確かに音楽は好きだ、作るのも好きだ。だが、あまりに根を詰めすぎると楽しいのか楽しくないのかわからなくなってきて、怠惰かもしくはストイックな生活の中で、目標(最高のトランスを作る)を達成するまでこれを続ける選択肢を取り続けることができる自分がいるのか不安になってしまうのだ。
結局目標を達成する心構えで居られるかどうかという自分自身に対する恐怖、これが弱さと怠惰の原因なのだ。精神力というやつだ。
これがない人間はやりきれなさをなんとかごまかしながら一生適当で終わる。これは間違いない。自分はだんだんこの種の人間になってきていて、それをとても感じる。高校までのほうが尖っていた分精神力はあった気がする。完全に社会不適合者ではあったが・・・・

第一自分は中道というものが嫌いなのだ、怠惰なら思いっきり怠惰で居たいしストイックなら思いっきりストイックで居たい。つまりかっこつけだ。でもそういう生き方をしてるとつらいのがやなので自然と常に怠惰になってくる。ずっと怠惰でいるのも辛いので、適当にストイックに生きることになる。つまり、適当で怠惰になってくる。
こういう種の人間には常にストイックで生活するより人生をやり過ごす方法はないのかもしれないと思う。ストイックとは何かについての考察を激しく省くとこういうつまらない考えも生まれる。

2 周りから学ぶ姿勢は足りているか

  確かに本やスクールに通っていたかというとそうではない。本気ならそうすべきだ。もっと外に出て自分の実力を試すべきだ。そちらのほうが早い可能性が高い。しかし、これには自分にとって2つの問題があった。
  一つ目は本気でのめりこんでしまうこと。自分は一つのことにのめりこむタイプであるので、いわゆる就職だとか、働く稼ぐだとか、人間関係だとか、そういうものを全てないがしろにしてしまう危険があった。本当にこれが怖かった。そんな世界で食っていけるはずがないのがわかっているから、割く時間と精神の割合を抑える必要があった。あるときハッと気づいた時には音楽にも興味がなく、すべてが手遅れになっていて、取り返しのつかなくなっていることはあり得る。自分の興味ほど時間とともに揺らいでいるものはないというのを知っているからだ。
だから、ある程度通常の収入が得られる地位は維持したいと思って行動した。でも、そのためのプロセスを積み上げるのはそれなりに時間がかかる。それにその他いろいろなくだらないことで葛藤しなければならない無能さが原因でさらに時間を食った。
  二つ目は、プライドだ。全部独学で、自分のアイデアで、何かを作りたかった。つまりバカだ。基本的に先人と先人を貴ぶ知恵が足りないのだ。自分が考えたことのほとんどは世の中のだれかがすでに考え付いているか、もしくは新しいことを考え付くとしても一生かかってようやく一つくらい生み出せるかだ。だけどそんな厳しくてずっと押さえつけられて学び続けなければならないのは理不尽に思った。もっと新しいものを多く一生のうちに生み出したい。そのためには、早急に、磨かれていないがだれも考え付いていない、もしくは、ほとんど誰も磨ききっていない何かを見つける必要があった。パソコンで音楽を作ること選んだのは、それが自分にとって音楽にかかわれる唯一の道であったからで、その考えにに近いことかどうかはわからないが、すくなくともこの比較的新しい分野で何か違うセオリーを見つけられるとすれば、それはなるべく一般的なセオリーとは違う方法で学び始め、違う視点を身に着けることなのだと思ったのだ。
甘い。これが甘かった。結局はセオリーを全て学びきりもう飽きて飽きて全て暗唱できるくらいでないと新しいものなど出てこない。これが真実に違いない。能力の違いはこの暗唱の習得にかかる時間や労力だが、能力があっても基本を無視したり読み違えれば一生を浪費して過ごす。
勉強してない奴ほど独力でやりたがり、自分の間違いに気づかないまま間違った主張を繰り返すのに似ている。第一自然科学以外の分野では、往々に権力や肩書によりどころを得ているために、中身のないことを主張している自己中心的で反省ができない奴が一番上でのさばるのが常態化している。(性格ではなくて学問的に自己中心的で反省できないという意味だ。)
そういうやつらは人類史において、良くても反面教師ぐらいの役割しか果たさないだろう。反面教師となる人々は歴史上に多すぎるのでもう必要ないはずなのだが・・・・・
話がずれた。が、そういうことだ。

3 本当に向いているか、する価値があるか

  この問いはする意味がないが、なかなかぬぐえない。どちらも自分が納得すれば問題ない。一番自分が納得できるのは結果がでることに間違いはなく、そうでなければ自分の意思を貫いた人かただの変わり種として死ぬ。結果が出ずに納得できてしまうほどハッピーなら、何があっても大抵ハッピーな楽観主義者であり、自分を追い込む気概を持てず努力が欠けるので結果は出にくい。相対的な意味での結果(スポーツとか順位をつけて一位を争う類のもの、もしくは出世とか社会的なもの)であれば運の要素もかなり大きいのではあるが・・・
だから相対的な物事に関してはそんなに構えなくていられる。運の要素がでかいから、そいつがうまく働くような格好でいればいいだけだ。もちろん程度は物事によってことなり、社会的なもののほうが運の要素が強い。
社会的な地位や評価に、能力の高さや人間的な高潔さの理由を求めるさまを散見するが、必然性の程度はそんなに高くないと思うのだ。

1~3を総括して、今後のトランス制作にかかる方針をまとめるとこうなる。

限られた時間内でもストイックに、かつ謙虚に学びながら制作に取り組み、あくまで絶対的な結果(相対的な結果は確実にその前に現れている)をもってして満足を得る。

自分の精神衛生上難しい目標のため、当面はこれを考えながら楽しんで作ることとします。

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【2015/03/10 00:06 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0)
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